大体出来る、まあまあ出来る、多分出来るは「現時点で出来ない」ということ @城陽市寺田にある個別指導塾 勉楽個別
みなさん、こんにちは。
京都府城陽市寺田にある個別指導勉楽個別です。
本日もブログを読んでくださりありがとうございます。
本日のブログのタイトルはかなり長いですね。
簡単に言うと「出来る」を掘り下げるということです。
曖昧語、あやふや語の心地良さ
「大体」「まあまあ」「多分」等、状況を曖昧に表現できる言葉はとても心地良いですね。
ただ、その心地良さは非常に危険でもあります。
「大体」「まあまあ」は、「不十分である」ということを表しています。
また、「多分」は「確信が持てない状況」を表しています。
そう考えると、曖昧にすることで「現実逃避」していると言えるのです。
勉強における「実力養成・知識理解&定着」においても、このことが当てはまります。
「大体出来る」「まあまあ出来る」は「出来ない部分がある」ことを意味しています。
言い換えると、「完璧には出来ない状況」ということです。
何故そうなるのか?
現代の子ども達は、「自己管理と自己評価」で行動していると思います。
自分で良いと思ったり、やりたいと思ったことには非常に前向きです。
しかし、その中身が「実際に良いもので大切なもの」であるかどうかは別問題です。
また、子ども達に注目していると、一見みんな同じように行動しているように見えます。
しかし、結果を見ると大きな違いが生じるのです。
そして、この原因こそが先の理由であると思うのです。
「最初から子ども任せで取り組ませる」のか、
「最初は大人が情報や方法を与えた上で子ども達が行動しそのプロセス管理に大人が関わる」のか。
前者の場合、そのプロセスで困難や面倒ごとがあると取り組む必要がありません。
他方後者の場合、大人が関わることで取り組み、それが「方法」として身につきます。
現代の子ども達の「主体的に学ぶこと」はとても良いことです。
しかし、何から何まで「子ども任せ」になっていると、結果につながる確率は低くなってしまいます。
なので、「最初の基準作り」にはしっかりと大人が関わることが重要です。
そして、それが身についた後は「子ども任せ」であっても大丈夫なのです。
もう1つ重要なこと
しかし、最近よく感じることがあります。
それは、「子ども達の演習量の不足」です。
言い換えると、「定着する前に止めてしまう」のです。
当然、面倒な復習は大嫌いで「写すだけで理解しない」子ども達も多いです。
しかし、仕組みを理解し1・2問正しく解くことが出来ても、それが「実力として身についたことにはならない」と私は思います。
かといって、「同類問題200問演習」のような苦行を強いるは好きではありません。
それよりも、「1週間に1回の復習チェック&間違い直し学習」の方が現代にマッチしていると思います。